文月ブログ

森を巡る旅-柿田川湧水群

私の故郷、静岡県駿東郡清水町は、その名のとおり、清流の流れる町です。柿田川湧水群と呼ばれる泉は、富士山の伏流水が数十年の時を経て湧き出し、その量は一日に約100万トンにものぼります。柿田川はこの湧水を源流として狩野川に注ぐ、全長1.2キロの、日本で最も短い一級河川です。水温は年間をとおして15度、四万十川、長良川と並ぶ日本三大清流と呼ばれ、名水百選にも名を連ねます。泉の水は、静岡県東部の沼津市・三島市・熱海市・清水町・函南町の3市2町に給水されており、水利権を持つのが沼津水道局のためか、沼津は全国で最も水道料金が安いと聞いたことがあります。
子供の頃から、泉は町民の誇りでした。水道水が美味しくて、他所から来た人が感嘆するのを、子供心に嬉しく思ったものです。小学校は柿田川の傍にあり、裏手には河畔林が広がっていました。心を震わす出来事があると、その場所に行っては景色を眺めたものです。町の人口増加に伴って、狩野川沿いの田んぼの中に新たに小学校が建設され、私は途中からそちらに通うことになりました。好きだった景色を見られなくなるのは残念でしたが、心の中にいつも、あの場所がまるで秘密の花園のような存在であり続けました。
柿田川と湧水群は、一時は工場排水などで汚染された時期があったそうです。しかし1970年代から、住民によるトラスト運動がおこり、流域の土地を買い上げて工場の移転などを進め、清流を取り戻しました。町もそれを後押しする形で、柿田川公園が整備され、住民のみならず観光客も多く訪れる場所になっています。
水の湧き出す「わき間」がいくつも見える第一展望台には、土日や祝日に必ずボランティアの方がいて、歴史や知られていない事実を教えてくれます。向こう岸に見えている茶色の建物は沼津市の管理する浄水場ですが、ろ過装置が無いとのことです。それほど澄んだ水なのでしょう。この水が、日本海軍の戦艦に搭載されていたという話も聞きました。長期間の航海でも腐敗しにくいからだそうです。真偽のほどはわかりませんが、この泉に対する愛着の深さと、その価値を伝えたいという情熱が伝わってきます。トラスト運動による土地の買い上げは今でも続いているそうで、私も以前、購入代金の一部が役立てられると聞き、カワセミの刺繍の入ったハンカチを買ったことがあります。
第二展望台は、昔あった紡績工場が井戸として利用していた、大きな円い筒の底を覗くように作られています。高い透明度と差し込む日光が水面を深い青に染め、底から沸き上がる砂がそこに生き物のような動きを添えています。スマホを落としそうで怖いと思いながら、写真を撮りましたが、複雑な光を放つその青を写し取ることはできませんでした。
園内を更に進むと、水に触れて遊ぶことができる湧水広場があり、小さな子供達が楽しそうに水を跳ね上げて笑っていました。その先には散策路になっている木製の八つ橋がかかっていて、柿田川がゆったりと流れていく様子を眺めることができます。この流れは小学校の裏手の、あの木々の生い茂る場所に向かうのだと思うと、幼かった自分の姿が目に浮かぶようでした。灰色のスカートに白いブラウスの制服を着て、何か良くわからない胸の痛みが消えないものかと、木々の精気に頼るように細い腕を伸ばしていた少女。昔と変わらない清涼な流れは今も、小さな誰かの心を癒しているのかもしれません。

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