文月ブログ

木々に寄せて-その8「楢」

楢というのは、クヌギやミズナラ、カシワなど、コナラ属の落葉広葉樹の総称だそうです。箱根にはミズナラが多く自生していて、葉の形から見分けもつきやすく、自然解説の折にも馴染み深い樹木でした。落ちていた葉を鹿の角に見立てて、子供達の笑いを誘ったことも、懐かしい思い出です。
そんな私が家を新築した時、奮発して選んだ家具がナラ材のものでした。調べてみると、一般に家具に使われるナラはミズナラの場合が多いらしく、ヨーロッパから輸入されるホワイトオークもミズナラの近縁種とのことです。20年以上使っても少しも色褪せず、傷一つ付かず、よほど縁が深いというか、相性が良いのでしょう。
オーク(oak)という単語は、子どもの頃に読んだ本では樫と訳されていて、欧米の深い森や、その主のような常緑の巨樹の姿に憧れを抱いたものでした。しかし、それはどうやら誤訳だったらしく、最近では、オークは主に落葉樹のナラ類のこととされています。年月を経て、憧れの対象が実は別物だったと判明した訳ですが、あのコナラやミズナラと同じ葉を持つ木だったとは、何か一気に距離が縮まった感じです。オークには導管を塞ぐ物質が存在し、水を通さず腐食に強いため、ワインやウイスキーの樽に多く使われてきました。日本のナラやケヤキも同様で、最近では日本のウイスキーメーカーも、ミズナラの樽を使っているそうです。
20年近く前、山梨県にある洋酒メーカーの醸造所を訪れたことがあります。普通、ウイスキーは複数の樽でできた原酒をブレンドし、味を調えてから瓶に詰めて出荷しますが、中には、樽から汲んだそのままでも、独特の個性を持った美味しいお酒になっているものがあります。当時は、それを樽ごと買い取り、瓶詰めしてオリジナルのラベルを貼り、世界に一つしかないウイスキーを手に入れる、「オーナーズキャスク」というサービスがありました。その後、ハイボールの人気が高まり、原酒の不足から中止になったと聞いていますが、会社の周年行事や高級クラブの常連客などに向け、希少性の高い贈答品として使われていたそうです。価格は樽の大きさにもよりますが、百万円代から数千万円のものまで様々です。私達は購入を希望する友人の紹介で、いくらかのお金を分担し、一部を分けてもらう約束をしたのです。緑に囲まれた醸造所内の、ガラス張りの貴賓室のような部屋に通され、私達は10種類近い樽の原酒の試飲をさせてもらいました。全員の意見が一致して、この樽にしようと決めた頃には、みんなほろ酔いを遥かに超えていたと思います。その後、ウイスキーを仕込んだ樽を再利用するため、内部をバーナーの炎で焼く作業を見学しました。中には、元々ワインやシェリー酒が入っていたという樽もありました。原酒に様々な風味を付けるため、樽はそうやって何度も使われ、金色の液体を醸していきます。後日、自分の分として届いたウイスキーは、開けると森の風景が広がるようでした。市販品より高いものの、二度とできない体験の費用としては、十分な価値があったと思っています。
醸造所の内外は深い森に覆われていて、その中には今も、ミズナラやクヌギ、カシワなど、多くのナラが自生しているでしょう。その森の精気と、湧き出る清水と、技術者の情熱が樽の中で溶け合い、日本が世界に誇るウイスキーを生み出していると思うと、あの木々達が愛おしく思えてなりません。

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