文月ブログ

木材価格が最も高かった時

 林業がなぜ衰退産業になったのか、戦後の日本の森に起きたことを、私はずっと少しずつ考えてきた。研究するというほど大げさでも深くもない。それでも私は、時代背景や原因、あるいは何がきっかけでそうなったのかを知りたいと思ってきた。
 日本の森(山元立木価格)も製材品の価格も最も高かった1980年、その時にはいったい何が起きていたのだろう。以前も自分なりの仮設を立て、1980年の住宅性能保証制度の開始が、それまで伸び続けてきた住宅着工に水を差したのではと書いたが、その時代を経験された方からのご指摘で、制度は中々浸透せずほとんど影響が無かったこと、真の理由は第二次オイルショックによる資材の値上がりによるものだと教えて頂いた。良く考えれば、住宅着工戸数の減少は木材価格が下落した理由であって、そこまで上昇した理由ではない。最近改めて調べてみると、上昇の原因には、為替の変動と第二次ベビーブームを背景にした旺盛な住宅需要があったことが見えて来た。
 1973年2月にドル円レートが完全変動相場制に移行した際、円は一時260円前後まで上がったが、同年10月の第四次中東戦争をきっかけにオイルショックが起こり、再び300円前後に戻っていく。73年に112万戸だった木造住宅着工戸数は、直後には87万戸と大きく減少したものの、76年には99万戸まで回復している。1970年から80年の十年間に、日本の人口は1億435万人から1億1千678万人に、1,200万人も増加していた。特に1971年から74年までの第二次ベビーブームで子供が多く生まれ、手狭になった借家から戸建てに移りたいという欲求は、誰しもが持つ夢であり目標だったのだろう。
 第一次オイルショックの不況から抜け出す過程で、円は徐々に値上がりし、1978年末には180円前後にまで達した。しかし79年にイラン革命に端を発する第二次オイルショックが起きると、円は再び下落して80年初頭には250円前後になった。水準としては1973年と近い数字に見えるが、局面は全く異なる。それまで固定相場で360円だった円が260円まで上がれば、輸入木材は安くなる。拡大造林政策から20年近く経ったとは言え、当時はまだ国内の森林は育成期だった。1973年に木造住宅の着工戸数が最も多かったのは、住宅がそれまでより手が届きやすい価格になったためかもしれない。反対に、1980年は180円だった円の価値が250円にまで下がったので、輸入木材の値上がりを見越して国内の立木の価格が上がっても不思議ではない。しかし現実には、アルミ地金などの異常な高騰や不況のため住宅着工戸数は75万戸に減少、その後もバブル期や災害需要を除いて大きく回復することはなかった。当時は住宅の建築費に占める木材の割合は3割だったそうなので、木材価格の値上がり自体、住宅市場を冷やす要因になっただろう。そして1985年のプラザ合意により円は急騰、そこからほんの数年前まで、80円~130円の幅に収まり、木材価格は低迷を続けることになった。そして円安が進み始めた2022年頃から、山元立木価格もわずかながら上昇に転じている。木材は国際流通商品だということを改めて確認すると共に、素材で勝負している限り勝ち目は無いと理解しなくてはいけない。
 先端技術を活用して山側が建築にまで足を踏み入れれば、住宅資金を循環させて地方の暮らしが永続する糧を得られ、優れた耐震・省エネ性能を備えた住宅部品を海外に輸出することもできる。日本の人口が増加していく時に間に合わなかった針葉樹は、年に100万人も人口が減る時代、私達が賢く縮んでいくための確かな支えになってくれるだろう。日本中で木を植えて育てた無名の人々の思いは、時を経て今も私達とこの国土を優しく包んでいる。

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