文月ブログ

オフィスを出て現場へ

高市首相の電撃解散で自民党は大勝し、100人以上の元議員が失職した。従来ならば、落選者は党支部などに職を得て次の選挙を目指すことが多かったと思うが、今回はあまりにも数が多く、任期満了までの4年間、衆議院の解散は無いだろう。多くの政治家が、志の途中で一旦その道を外れ、別の仕事で食べていく方法を模索せざるを得ないのではと思う。私は、今回の元議員と同じように、同一の職種で一斉に人が失職する、という事象がこの先増えていくような予感がしている。
具体的には、建築AIの進化によって、これまで互換性の無いソフトのためにデータ入力を行っていた人達の仕事が無くなる可能性が高まっているようだ。受注できるかどうかもわからない段階で、図面からデータを拾って入力する、根気のいる作業で、正しくて当たり前、間違っていると叱責されるデータ入力を黙々とこなしてきた人々が、ある日突然、配置転換や雇い止めにあうかもしれない。
低成長の30年間に増え続けた中間管理職が淘汰されていくかもしれない。コーポレートガバナンスだのコンプライアンスだのと横文字の概念を実現するための役職のほとんどは、組織をフラットにして横断的な交流やノウハウの共有、マイナスの情報も上に上げやすい風土を作れば不要になるように思える。欧米では高額な報酬を得ていたコンサルタントの大量解雇も始まっているようだ。
日本人は参院選を含む二回の選挙で、外国人の流入には厳しい条件をつけ、最小限に留めたいと意思表示した。それでも快適な生活を手放したくないのなら、大胆な技術革新を受け入れ、そのために生じる労働力のミスマッチを解消していくしかない。痛みを伴うとしても、希望退職やリスキリングなど、社会に対処する余力があるうちに結論が出る方が、結局は本人にとってもプラスになるはずだ。
グローバリズムの進展で、大規模な生産・輸送による商品が世界に溢れたが、それは人を歯車のような部品にし、単純労働への耐性を競わせる社会を生みだした。その弊害が意識され、揺り戻しが起こっているとすれば、「仕事」の定義をもっと大きく括り直すことが必要ではないだろうか。「管理する」という行為は付加価値を生まない。自分の手で何かを動かし、育み、紡ぎ、織り上げる仕事もあれば、都市の排泄物を回収し、無害化し、衛生を保つような仕事もある。AIが持たない身体性を駆使し、AIを使いこなして、より広い範囲の領域をカバーする、それがこれから人に求められる仕事なのではと思う。
そう考えると、定員割れに苦慮する各地の林業大学校に木造住宅部品の製造課程を組み込むのは無理なことではないように思える。毎回場所が変わる施工現場に赴くのは難しいが、オフサイト工場なら可能だ。自分達が伐り出した木材がどのように住宅を構成し、人の暮らしを包む箱になっていくのか、資源の循環を守るためにどうすれば効率的な育林が可能なのか、木表木裏を自分の目で確かめ、釘を打ちながら考えればいい。山で働けば住宅の取得費用が安くなる、そんな制度もあって良い。想像できるものは実現可能だという言葉を信じて、オフィスを出て山に入れば人間らしい仕事と暮らしが手に入る、そんな未来を夢見よう。

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