岡山県美作市の右手(うて)地区という場所を訪問する機会があった。ミツマタの産地で、「局納ミツマタ」といい、造幣局に納入していた時期もあったらしい。古くから木地師の里としても知られ、今も伝統を受け継ぐ人が細々と活動している。清流を利用したアマゴやニジマスの養殖場があり、林業遺産に指定された「水車製材」が今も現役なほど、豊かで清らかな水がそこかしこに流れる里だ。
地域おこし協力隊で来た人が地域に溶け込み、古民家や隣接する蔵を地元の人と共に改修して、サウナ好きを惹きつける宿を作った。釣り客で賑わいながら後継者のいなかった養魚センターや、ミツマタ農家の事業承継を実現させ、「森の展示室」というアートイベントを成功させた。そんな事前情報には、どこかふわっとした、言葉は悪いがたまたま上手くいったに過ぎない理想家の匂いを感じたが、実際にお会いしてみると、そんな心配は無用だったようだ。彼の奥様と1歳半になるお子さんが、地元の人達にどれほど温かく迎えられているか、その様子は見ているこちらが幸せのお裾分けを頂く気分だった。
そして何より私にとって印象深かったのは、ミツマタの繁茂する場所が、丁寧に手入れをされた素晴らしい森だったことだ。
ミツマタは半日陰を好むので、スギやヒノキの林床に良く育ち、冬場の農閑期に収入を得る手段として栽培されていたと聞く。毒素を持っていてシカが食べないこともあり、木漏れ日の射し込む明るい林に繁り、4月上旬には一面に黄色い花が咲くそうだ。その説明を聞くために訪れた場所で、私はその林分の美しさに心を奪われていた。太く通直で、ある時期まできちんと枝打ちされていたと思われる。将来の高価格を期待して手を入れた林は、材価の低落で伐っても割に合わない状態になってしまったが、その努力に報いるように、自然はミツマタを繁らせ、一面に咲く花の景色で芸術家を呼び寄せる。
しかしその林の持ち主が望むことは、やはり年月を経た木材が高く売れ、自分の子や孫に資産として残せるようになることだろう。そのために役に立つかもしれない先端技術を人々に伝えて、この里の暮らしが長く続くような関わり方ができたらと思う。
文月ブログ
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