文月ブログ

木造建築と大工の役割

先日、ある建材商社の主催したセミナーで、大工という職能の過去と現在・未来について、設計士、工務店、大工、そして木造大型パネルの開発者が講演し、ディスカッションした。大工は担っていた役割をどんどん取り上げられ、多くが低待遇の作業者に甘んじている。誰も真剣に大工の事を考えていないのではという指摘もあった。ゲストの一人の話では、土で壁を塗る職人を左官と呼ぶが、貴族が政治を司っていた頃、大工は右官として仕え、建築を差配していたらしい。為政者が武家に変ると大工は築城に加え川を堰き止めるような土木工事まで担うようになり、徳川幕府によって城郭禁止令が出されると、社寺仏閣を扱う宮大工以外は、町人の屋敷や長屋、橋を作る町大工になったと。
確かに昔の建築はほとんど木材と瓦と土壁でできていたので、大工は棟梁と呼ばれ、設計や材料調達、加工、施工管理など全てを取り仕切ったのだろう。許された工期と入手可能な材料で、木をどう使えば費用が安く済み、長持ちするのかを考え抜き、為政者の望む見栄えの良さまで実現するテクノクラートだった。
しかし現在の建築物は、鉄筋のビルは言うに及ばず、木造住宅でさえ、材料に占める木材の割合は減り続けているそうだ。サッシや断熱材といった他の材量が幅を利かせ、家電のための配線というやっかいな作業も考慮しなくてはいけない。建築全体に必要なスキルの中で木材を扱う能力の比率が低下した上に、プレカットによって刻みが不要になり、現場ではパズルのように組み立てるだけ、という仕事が増えたのだから、大工がただの作業員として低い地位に置かれるようになったのも無理からぬ事のような気がする。私が建築について知っていることはほんの僅かで、生意気な事を言える立場ではないが、大工さんが昔の棟梁のような地位や報酬を得たいなら、富裕層向けの注文住宅で指名されるようなプロ中のプロになるか、より広い業務範囲に手を広げるしかないのではなかろうか。設計や構造・温熱計算、土地の気候や地形、法律や金融のノウハウ、建材に関する幅広い知識と仕入れのネットワークなど、施主に選ばれ生き残る工務店は、そうした総合力を備えた存在なのだろう。
ただ一つ気がかりなのは、大工さんが活躍していた時代ほど、木材と人との距離が近かったという事実だ。人は見えないものになりたいとは思わない。子供が鉋をかける大工さんの姿に憧れた頃、日本の家は木の香りに包まれ、柱に子の成長の跡を刻んだり、木の床の軋む音に家人の動きを察したりした。今の子供たちは、家を建てる人を見る機会があるだろうか。大人達も、マンションの内装に使われた壁紙の下の木材について思いを巡らすことなどありはしないだろう。私にとって大工さんとは、木材を使って建築物を組み上げる技術を持った人、森の恵みを人の暮らしのスケールに落とし込む人だ。
私が大型パネル工場をハブとする森林直販に思いを託すのは、そこでなら、施主が木の育った山に思いを馳せ、木を大事に扱う工員の姿に信頼を寄せ、住み始めてからもそのことを思い出す、森に開かれたドアになることへの期待があるからだ。更に大型パネル工場は、設計士と大工と工員が互いの意図を伝え合い、知識と経験を活かしてより良いものを作る工房・アトリエにもなり得る。住む人が木の命に包まれるような温かみを感じられる家、長い年月をかけて育った木と、それを活かす工夫を惜しまない人々への感謝が自然に生まれるような家づくりをして頂けたら、木を司る大工という仕事が無くなることはないのではと思う。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP