文月ブログ

森を巡る旅-「事任八幡宮」

静岡県の掛川市八坂にある、「事任八幡宮」(ことのままはちまんぐう)は、御柱際で有名な諏訪大社と、修験道場として名高い戸隠山とを結ぶ一直線上に建つ、由緒ある神社です。
公式ホームページによれば、西暦131年から190年頃という遠い昔に創建され、807年に、坂上田村麻呂が東征の際、勅命を受けて再興し、現在の場所に遷座したと書かれています。
「ことだまの社」とも記されているのは、主祭神が「己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)」という神様で、真を知る神、言の葉で事を取り結ぶ働きをする神様だからでしょう。
平安時代から、「ことのまま」という読みのせいか、祈れば「願いごとが叶う」神社として多くの人々が参拝していたようです。しかし、本当は、「己等乃麻知比売命」は天の言葉を伝えることで人々を加護する神様ですので、清少納言は枕草子の中で、誤解に基づいて多くの人が願いを託すのを皮肉っています。さすがは高い教養を持つ清少納言、神様の本来の役割をきちんと踏まえて、違うのよね、と言っている訳ですが、批判するというよりも、「いとをかし」と、人々のそのような振る舞いを、どこか容認しているようにも受け取れます。身の回りに日々起こる事を、卓越した観察眼と筆の力で文学にした才女ですから、人間性への深い理解があったのでしょう。
私がこの神社にお参りしたのは、掛川市で行われた林業関連のイベントがきっかけでした。静岡県の熱心な土木関係者が、治山・治水のデジタル化を林業にも応用し、総合的な産業として発展させたいという意思を示して、それに呼応する森林組合や林業・木材事業者とアイディアを出し合い、集中的な議論する場を設けたのです。残念ながら、その会合を通じて、何か継続する取り組みが生まれたとは聞いていませんが、私にとっては、事任八幡宮の存在を知ったことに大きな意義がありました。小さなころから言葉や文字に興味を持ち、「言霊」というものを信じる気持ちが強かった私が、ここで精神を支えてくれる考え方に思い至ったからです。
私は、古来この日本列島に生きて来た人々を守ってきた何かを「神様」と呼んでいます。それは自然の摂理と言ってもいいし、宇宙を支配する因果律と考えてもよいでしょう。それを尊び、その示すところに従ってきたからこそ、世界最古の天皇家を戴き、独自の文化を持つ日本という国が続いてきたのだと考えています。その「神様」の言葉を伝えるのがこの宮の主祭神なのですから、その声と私自身の望みとを合致させるならば、私の願いは必ず叶うでしょう。そう考えついた時、「己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)」は、私が自分の内面と向き合い、誓いを立てる際に唱える名前になりました。
事任八幡宮の敷地内には大銀杏や大楠が聳え、杉の巨木も天に伸び、古くから信仰を集める社であったことがよくわかります。単純に自分の願いを告げる人も、神様の存在を少しでも意識するなら、人の道に外れたことや自分だけが得をする、「罰当たり」な行為は慎むでしょう。それでいいのだと微笑む清少納言の姿が、御簾の向こうに見えたような気がします。

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