文月ブログ

木々に寄せて-その4「柳」

柳という一文字を聞けば、ほとんどの人はシダレヤナギを思い浮かべるでしょう。池の周りなど水辺に多く、夏の暑い時期に、その風に揺れる様は見た目にも心地よいものです。実際に日本の柳は水分の多い土壌に強く、水害などで流されても、その倒れた幹から容易に芽を出すことで、河畔に多く自生するようです。上高地に行った時、梓川に茂るケショウヤナギという言葉を聞いただけで、何と美しい響きだろうと感嘆しました。春先に白い綿毛を付けた種を飛ばすため、真っ白に見える様子から化粧という名がついたとのこと。その時期に訪れてみたいという、旅情を誘う名前です。
NHKの番組によれば、武田信玄は土手を築く際、必ず柳を植えるよう命じたそうです。挿し木で簡単に増やすことができ、根が横に広がって土手を固めるため、大水の際の水圧に耐える力が強まるからでしょう。信玄は水を跳ね返すだけでなく、その力を受け流す工夫をした堤も作ったようです。近年、数十年に一度と言われるような降雨が頻繁に発生し、堤防だけで増水を抑え込むことは難しいという認識が広まって、遊水池や水田への貯水を利用した総合的な治水が検討されるようになりました。古くからある知恵を生かして水害を防ごうとする中で、柳の役割も再評価されるのかもしれません。
柳には、もう一つ「楊」という字も用いられます。こちらはネコヤナギのような、枝が上に伸びるヤナギを指すようです。この文字を見て思い浮かぶのは、スヴェン・ヘディンというスウェーデンの地理学者による「中央アジア探検記」に出て来る「胡楊」という樹木です。砂に埋もれた「楼蘭」の遺跡、さまよえる湖「ロプノール」といった記述に胸を躍らせ、憧れた日々、ヘディン一行が木陰で休息する時、あるいは朽ちた建物の跡を目にする時、そこにはタマリクスと胡楊という木の名前がよく登場しました。調べてみると、この二つにスナナツメを加えた3種が、中央アジアから北アフリカにかけ、乾燥地に生育する三大植物だそうです。日本の柳と同じヤナギ科ですが、ポプラの仲間で、学名は「ユーフラテスのポプラ」といい、旧約聖書にちなんだ「琴掛け楊」という和名がついていました。同じヤナギ科でも、一方は水を好み、一方は乾燥に強いというのは、分化する過程で、それぞれの置かれた環境に適応していった結果なのでしょう。
ロプノールは一時期中国の核実験場になりましたし、タリム盆地の胡楊は今や絶滅危惧種として保護されているそうです。ヘディンが旅した1900年頃の中央アジアとは、全く様相が変わってしまいました。ヘディンは1600年の時を超えて、湖が元あった場所に復活したことを確認しましたが、それが決まった周期とは考えず、人間が予想することは容易でないと理解していたようです。そんな彼が、人類が化石燃料の多用による気候変動を引き起こしつつあると知ったら何を思うでしょうか。
水に強い日本の柳も、乾燥に強い砂漠の楊も、それぞれの生育環境で闘い、他の植物とも競合しながら生き抜いています。その柔軟でしぶとい生命力を、私も見習いたいと思う毎日です。

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