文月ブログ

森林組合の役割の変化

森林組合は全国に607組織、組合員の所有する森林面積は1,047万㏊。(2023年3月末現在)日本の森林の約42%を森林組合が管理している。森林組合は「森林組合法」に基づいて設立され、組合員の経済的社会的地位の向上、森林資源の保続培養・森林生産力の増進を図ることで国民経済の発展に貢献することを目的としている。(全国森林組合連合会HPより)
森林組合法の成立は1978年、戦後に始まった拡大造林が次第にペースを落としつつも継続していた時期だ。1960年に木材の輸入自由化が始まったが、1980年には木材価格がピークとなっている。それは旺盛な建築需要に対し、国内で供給できる木材がまだ少なかったことを意味する。30年間で400万㏊も増加した人工林の木々はまだ若いが、将来成長した時には大きな富をもたらしてくれるという期待があったのだろう。
しかし第二次オイルショックを機に住宅需要は落ち込み、木材価格は下落に転じた。その後のバブル景気で材価は少し持ち直したものの、1990年のバブル崩壊とその後のデフレ時代には長期間にわたり低下し続け、最近になってやっとわずかに上昇しただけ。木材価格の下落と言っても、それは世界の標準価格と同じになったに過ぎないのだが、地形・地質・気候、そして何より細切れの所有形態が障害となり、日本ではほとんどの地域で、木材の伐採・搬出は赤字、補助金無しでは森林整備も皆伐再造林もできない。日本の木がまだ若かった時代、今は育成期だからと、林業関係者は税金の投入によって森林整備を行うことを財政当局に認めさせた。しかし木が充分に成長した今も、木材を高く売ることができず、毎年数千億円という補助金が使われ続けているのが実態だ。
私が林業に興味を持った2007年当時、多くの森林組合は、補助金の枠内で決められた仕事をするだけの体質が染みついていると言われていた。そのような仕事に満足できない人は辞めていき、ぬるま湯を好む人しか残っていないと。その頃に比べれば、「林業の成長産業化」などと背中を押され、現在の森林組合は高性能林業機械やGISの導入など、ずっと進化しているように見える。しかし今でも、民業を圧迫してはならない、分をわきまえろ、余計な事をするなという内向きの発想が、組織風土や一部のリーダーの頭には残っているようだ。
江戸時代とデフレの時代には共通点がある。それは多くの人を食べさせるために分業が発達し、情報が分断されることだ。江戸時代に端を発する川上・川中・川下に分かれた木材取引の商習慣は今でも色濃く残っている。情報の秘匿によって自分が得をする経済、それは競争相手が多く、人手が安価な場合に効力を発揮する。
しかし現在、林業・木材産業を巡る環境はそれとは真逆になりつつある。2年にわたるヒアリング調査の結果、私は民間の小規模な事業体が、元は造林などの単体事業から、素材生産・特殊伐採・山林の取得・苗木生産など、事業領域を広げる傾向にあることに気づいた。商流の前後、あるいは周囲の事業者が後継者難などで縮小・撤退する中、自らの事業の安定化のために手を拡げざるを得ないという側面が一つ。そしてもう一つの要因は、デジタル技術により、情報の連続性を担保する、つまり資源調査から伐採・造材・製材加工・再造林まで一貫で取り組む方が効率的で儲かる環境が出現していることだ。
森林組合の役割も、これまでのような分業の維持から、統合の推進へと変化しているのではないだろうか。なぜならば人口が減り、より少ない人数で森林を管理するには、デジタルを活用する以外に方法が無いからだ。デジタル化の恩恵を得たければ、情報をオープンにし、異なる事業者間で共有するアプローチが必要だ。更に森林資源情報を建築情報とつなげ、伐採から一気通貫で住宅部品の生産まで行えば、大きな利益を生みだして若い担い手を確保できる。税金で助けてもらう存在から、税金を納めて社会に貢献する側へ。それを行おうとする民間事業者がいるのなら彼らと共に、いなければ自らが先頭に立って進めていって欲しいと思う。
前回も触れたように、規模の拡大は必要ない。しかしより利益を上げ、全産業平均より90万円も安いという林業労働者の年収を引き上げなければ、いずれ担い手はいなくなる。森林を守るという誇りだけでなく、その地域で豊かに暮らし続けられる安心を作り出す組織へと、森林組合には飛躍を遂げて欲しいと思う。
(写真は佐伯広域森林組合が自力建設した2×4用新工場の内部)

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