先週、私は生まれて初めて献血に行き、新しく生まれ変われたような気持ちになった。その喜びを分かって欲しくて、少し自分の話をさせて頂く。
子供の頃から体が弱く、月に一度は熱を出して抗生物質のお世話になっていた私。体力測定の1キロを走れない、山登り遠足は途中で落伍する虚弱な子供だったが、大学生になる頃には何とか人並みに暮らせるようになった。それでもBMI(体重÷身長÷身長)の値はずっと17~18、痩せすぎの状態が普通だった。人より体力や集中力が無いのはわかっていたが、食べても太りにくい体質だったのと、心のどこかに痩せた自分でいたい思いがあった。爪はすぐに欠けるし、少し疲れが溜まるだけで喉が腫れて熱が出る、ちょっとした衝撃で肋骨を折ったことが三度もある。好きで痩せている訳では無いと言いながら、体重が増えると落ち着かず、元に戻ると安心したものだ。
そんなメンタルが180度変わったのは、4年前に肺に穴が開く気胸を発症してからだ。歩いている最中に突然胸が痛み、呼吸が苦しくなって病院に駆け込んだ。最初は心臓かと思い循環器科に行ったのだが、そちらは異常なし。レントゲンを見たお医者さんに「左側の肺、破れてるね。」と言われ、近くの総合病院につないでもらってそのまま入院した。幸い症状は軽く3日ほどで退院できたが、あんな恐怖を味わうのはもうこりごりだった。
気胸は若い男性に多いが、中高年が発症する原因は「低栄養」だそうだ。その当時、私のBMIは17.3くらいで、明らかに栄養不足に陥っていた。退院してしばらくの間は歩くのも辛く、ゆっくり歩くのと「早歩き」は全く別の運動だと実感した。
回復する過程で、私の中のスイッチは完全に切り替わった。モリモリ食べ、近くの筋トレ教室に通う。プロテインを飲み、肉や卵を積極的に摂る。昔の私は標準体重より11キロも少なかったが、この4年で5キロ増やし、服の多くをLサイズに買い替えた。
そのうちに、夏の酷暑に駅前に立って訴え続ける献血ルーム職員の、「血液が足りません!献血お願いしまーす!」の声に応えたいという思いが湧いて来た。初回の献血ができるのは64歳まで。一度経験すればその後は69歳まで可能だ。65歳の誕生日までに献血するのが目標になった。
成分献血なら体への負担が軽いのだが、血管に針を刺して1時間もじっとしていられる自信がない。200mlはあまり需要がなく10代向けだと言われたので、400mlに挑戦することにした。体重は400mlの献血ができる条件、50キロを超えている。血液全量の7%以下なので、医学的にも統計上も安全とされる量、大きな負担は無いはずだと自分に言い聞かせた。初めての献血は問診や事前検査にかなりの時間がかかったが、採血自体は15分、優しい看護師さんに見守られ、自分の思いを話し、誉められているうちに終わった。
涙が出た。
よくここまで辿り着いたなぁという達成感と、健康保険を使い倒して生きてきた自分の後ろめたさが、人様の命を救う側になれたことで少し軽くなったのだろう。
そして30分の休憩を終えて外に出た時、街路樹の緑を仰ぎ見て改めて思った。「私の命は森からもらったものだ」と。子供の頃の孤独を癒してくれた裏山の松、大学生の時に気づいた「森の中で元気になれる自分」、それが後に箱根でのパークボランティアにつながり、山を歩くことで基礎体力が身に付いた。そして今は森林と人の暮らしを繋げる仕事をライフワークにしている。
献血は私にとって、森からもらった命の一部を別の人に手渡すことだ。森のエネルギーが私の体を通して誰かの命を救う。そう考えると、半年後にしかできない全量献血だけではなく、もっと頻回に行える成分献血に挑戦してみようかと考えたりする。涼やかな風が微笑む初夏だ。
文月ブログ
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