彼岸を過ぎてなお異常な高温が続く秋、そんな中でも街路樹は色付き始め、金木製の香りが街に漂う。空き地を占領して伸び放題に繁った雑草も、黄色く変色して種をまき散らし、折り重なるように枯れたものが目に付くようになった。
自宅近くの狭い歩道に接する家には、フェンスの外側に幅80㎝くらいの敷地があり、その家の高齢女性がアジサイやムラサキシキブ、紫蘭などを植えて世話をしていた。毎日のように外に出て草を抜きながら通行人とお喋りしていたのに、2年ほど前から姿が見えなくなった。すると、その家の主は植木の世話どころか管理する意思が全く無いようで、綺麗に手入れされた敷地はあっという間に雑草に埋め尽くされ、歩道にはみ出す草で歩きにくいほどになった。
去年の秋は、エノコログサ(ねこじゃらし)やカヤツリグサなど背の低い草の上に、猛暑で3m近くに伸びた雑草が折れて重なり、膝上の高さまで分厚く積み重なっていた。このままでは春になっても新しい草が芽吹くことができないのではと、私は心配になった。
今年の2月は異常な温かさで、3月はまるで季節が逆になったような寒い日が続いた。枯草の塊は、雨に濡れても風に吹かれても、ほとんど嵩が変わらないように見え、私は毎日そこを通りながら、雑草を始末しなかった家の主を呪いたい気分になった。
しかし4月を迎えたある日、枯草のそこかしこから新しい緑が顔を出すと、それこそ一週間も経たないうちに、敷地は再び緑に覆われた。白い骸が新しい命の芽吹きを邪魔することなどなかったのだ。枯草の腐朽は、気温の上昇だけが原因なら2月に起こっていてもおかしく無いのだが、その時は何も変わった様子は見られなかった。なぜだろうと考えるうち、私はベランダのプランターで野菜を育てていた時、生きた植物の根の周りには多くの虫がいたことを思い出した。恐らく、春になって新しい命が芽生え、それを利用する多くの虫達の動きが活発化したことで、枯草は一気に分解され、新しい命の糧になったのだろう。
雑草にもまれて生き残った幾株かの紫蘭は花を咲かせたし、今年の夏も同じように伸びた草の脇をすり抜けながら、これもしたたかに生き残って実を付けたムラサキジキブが色付くのを眺め、私は去年よりずっと心に余裕を持てている。
自然には標準も平均も無くて、時折起こるブレをやり過ごしながら、大きな季節の移ろいに任せ、命を次世代に受け渡す営みを続けている。無駄なものなど何も無く、真っ白になるまで生き切った植物の屍は、彼らが遺した種の土台に、養分になっていく。私がその様子に気を取られたのは、自分が何も遺せていない不安があるからだ。
不安を認め、抱えながら、それでも無駄な命はないはずだと、毎日をできる限り丁寧に生きようと思う。リングで闘いぬいたジョーのようには無理でも、真っ白になるまで生き切りたい。それが自分の命を何かにつなぐ条件なのだと、夏草達は私に教えてくれた。
文月ブログ
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