文月ブログ

森の入り口

天城峠を超えた先には、太平洋に面した伊豆の海が広がる。夏日の翌日にいきなり秋雨に見舞われた先週、母の米寿のお祝いにと、娘三人で海辺のホテルのスイートを奮発した。長年の立ち仕事で膝を傷め、ゆっくりとしか歩けない母は、大浴場には行かず、広々と海を臨める部屋の露天風呂を満喫した。これまで、母にとって浴場までの長い移動が負担だったと気づかなかったことを、私は恥ずかしく思った。
富士急行の初代バスガイドとして活躍し、経理部に在籍していた父と結ばれた母、その後私達三人を生み育て、父が左遷をきっかけに脱サラした後は、園芸店の経営も担ってきた。店が傾き、借金を重ねる中でも、親戚中に頭を下げて私を大学に行かせてくれた父を、母は旅館の中居などのパートを掛け持ちして支えた。その父が倒れて長い介護の末に亡くなった後、ドライブインの片隅で細々と商売を続け、負債を放棄せずに相続して返済した母。自己破産すれば楽になれるのに、娘達の縁談に障りがあってはいけないと耐え続けた父の意思を、母は貫き通した。
今でも老人会の歌謡部で講師を務め、グラウンドゴルフや体操教室に通う母の周りには、母を気遣い、常に野菜や料理を届けてくれる人が大勢いる。毎朝送られてくる安否確認メールには、昨日は一面の白い蕎麦の花とコスモスが咲く場所で、友人たちとお弁当を食べ、楽しくお喋りしたといった、忙しい毎日や周囲の人達への感謝の気持ちが綴られている。人に好かれ、自然に人に頼れる、自慢の母だ。
そんな母に甘えた記憶が、私にはほとんど無い。二歳違いで二人の妹が生まれたので、物心ついた時には既に「お姉ちゃん」だったからだ。父が猛烈サラリーマンでほとんど家に居なかったこともあり、私は親に甘えたり抱きついたりするスキンシップが十分でない幼少期を過ごしたと思う。その寂しさが、私を森へ、自然の中へ導いたのだろう。「自然を見て美しいと思えるのは、彼らが私を愛してくれているからだ」という理屈を思いついてからは、美しい風景を見ることで心が満たされた。学校の行き帰りに橋の上から眺める狩野川の景色が、私を忙しい親の代わりに抱きしめてくれた。
私は森に惹かれ、その入り口として林業の世界に足を踏み入れたが、そこは私の望むものが見つかる場所ではなかったと思う。これからも関わりは続けていくが、自分の居場所はそこではないと気づいた。私のように、森を歩き、森に癒されたい人は恐らく沢山いて、入り口を探しているかもしれない。
「あんた達には本当に苦労をかけた、申し訳ない」と母は言う。いや、お母さんのおかげで私達三人はこんなに幸福になれたんだよ、と何度言っても、同じ言葉を繰り返す。無念を抱えて旅立った父も、空の上から見守ってくれていたはずだ。大丈夫、お母さんの思いはちゃんと伝わっていたよ、森や空や川が、私を受け止めてくれたよ。だからこれからは、私と同じような人が迷うことの無いように、森の入り口を示し、森を案内できる人になろうと思う。次に会う時は、そう話すつもりだ。

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