WOODコレクション2024(通称モクコレ)に行ってきた。東京ビックサイトで毎年開催される、国産木材に特化した展示商談会だ。誰でも無料で参加できるが、実際に行くのは林業・木材産業や関係する自治体、業界団体の人が中心だろう。二つの大ホールに都道府県ごとにまとまって企業や組織の出展ブースがあり、お金をかけた展示物もあれば、ポスターを並べただけの簡素な一画も目につく。
正確な回数は覚えていないが、私はこれまで何度もこのモクコレを訪れてきた。新たな知識を得られるのに加え、出展者や来場者の中に知り合いを見つけ、挨拶したり近況を報告し合ったりするのが楽しかった。そうすると、実際はまるで門外漢の私も、林業や木材産業に直接従事し、あるいは研究機関や自治体に所属する人達から、仲間として見てもらえているような気分になった。今思えば何と恥ずかしい錯覚だったろう。
しかし今回、私は二時間近くかけてほぼ全てのブースを周り、これまで以上に多くの人に会い、話をしたにも拘わらず、満足感より違和感の方を強く感じた。この空疎な感じは一体何だろう。翌日も一日中考え続けて、ようやくある事に気が付いた。
私自身が変わったのだ。
これまでの私は、ずっとただの見学者だった。無料のイベントで、準備や設営・撤収に関わった訳でもなければ、ビジネス上の成果を期待されるプレッシャーもない。展示品は見ていたかもしれないが、展示の中身を真剣に見てはいなかったのだ。しかし、一昨年出版された書籍に筆者として加わったことで、私は初めて当事者になった。自分の主張に責任を持ちたいと、林業ICTに関するマーケティングにも携わっている。木材が、必要とする・興味を持つ人に届けられているのか、初めてその目線で展示を見たのだと思う。
すると、ビジネスマッチングが主眼でありながら、木材の用途別ではなく都道府県別の展示になっていることが気になった。建材、樽桶、梱包、家具、楽器、文具、おもちゃ・・・対象製品が多くバラバラに点在するので、専門のバイヤーには効率が悪いのではないだろうか。
そしてまた、木が単なるマテリアルとしか扱われていないようなもどかしさも感じた。木材は生命の軌跡が作り上げた素材だ。化石燃料と違い、木は山で育つ間ずっと、私達の環境を整え、生活を支えてくれている。そして伐られた後も、雨風をしのぐ住まいや道具となり、光や熱を生み出してくれる。そして何より、植えて世話をすればまたいつか収穫できる。人の暮らしに寄り添い、先人の、子孫への思いが年輪に刻まれた素材なのだ。だから木材を使おう、そう実感できるような展示は夢だろうか。例えば高さ20メートルの杉を吹き抜けの空間に据え、木材となるまでの過程を併せて見てもらえたら、木の魂が大空間を震わせ、その波動はこれまで木材に縁の無かった人や企業にも届くかもしれない。
こんな事を考えるくらいにまで、私はようやく成長できたのだろう。物見遊山でない確かな関わりを、山とそこで働く人々との間で育んでいきたいと思う。
コメント