シン・日本人の出現。最近出会った幾人もの若者のことを思い出すと、そんな表現が浮かんできた。新聞報道によると、東大はじめ高学歴の学生が官僚を目指す割合が激減しているそうだ。彼らの多くはITベンチャーや外資に行くとか、中には日本に飽き足らず海外に活躍の場を求める人もいるだろう。そんな中で、少ないながらも確実に、日本の地域に根差し、地域に寄り添って課題解決に取り組む人材が増えている。
若者と言っても、私は20代から40代前半まで幅広く捉えている。政治家や企業経営者の多くは60代、時には80歳を過ぎても権力を手放そうとしない人が多いのだから、40歳でも十分若手と言えると思う。むしろ、大学院での学びや複数の職業を経験してから地域に向き合う人は、腹が座るというか、覚悟を持って臨んでいると感じる。
九州のある経営コンサルタントは、林業の経営人材を育てる仕事をしている。行政の指示どおりにできる事業体とそうでない事業体があるとして、できない組織が悪いのかと言うと決してそうではない。行政の指示が雑だったり、実態に合わない部分があることも多い。できない組織と行政の間に階段を作り、橋渡しをする人間になりたいと話していた。
あるエネルギー関連コンサルの30代の社長は、自分は人をポジションで判断しない、社長だから偉いのではなく、人にはそれぞれ役割があって、自分の務めを果たしている人が偉いのだと自説を述べた。彼は木質バイオマスに関わり始めた時、自分が林業をまるで知らないことに気づき、林業現場に足繁く通ったそうだ。そしてその地域の森林と経済規模に最適なバイオマスボイラーを設計・構築した。
補助金を出す省庁は彼に、どうしてあなたが関わるプロジェクトは上手くいき、他のケースは失敗するのか、成功の秘訣は何かと聞いた。その問いに彼はこう答えたそうだ。「正直言って、自分にはなぜ失敗するのかわかりません。事業の主体者の立場に立って真剣に考え、この事業に必要なものは何か、それは自分達にできることかを問う。不要な存在なら舞台から消える。それだけです。」
昔なら高級官僚になっていておかしくない人材が、地域の人的資源の底上げやエネルギー供給の最適解を導き出す仕事についている。彼らに刺激を受けた若者が、自らも地域に貢献する業態を切り拓こうと奮闘する姿にも接した。彼らの強みは、前例に囚われず、最先端の知見や技術を駆使して目の前の事象に向き合っている事だ。理想を追うのではなく、現実をあるべき姿にフィットさせようとする。そこには自分が優位だという感覚を排し、フラットな立ち位置を保とうとする姿勢が見える。
本当にシン・日本人が増えているのか、それとも私自身がようやく、そのような秀逸な若者と出会うに相応しい人間になり得ただけなのだろうか、それを自問しながら、彼らと協働できる人間として歳を重ねたいと心から思う。
コメント