文月ブログ

自然への恐れを取り戻す

「都会でしか暮らしたことのない山主さんに、伐採の必要性をわかってもらうのは難しい」最近話を聞いたある森林組合の組合長さんはそう嘆いていた。施業計画を立てて、その区域内の不在村山主に電話をする。村で暮らしたことのある男性は、伐らないとみんなに迷惑がかかるから、いいですよと答える。しかしその後で再度連絡があり、息子に話したら、木を伐るのは環境破壊だろうと反対されたので止めます、と言われたそうだ。
神宮外苑の樹木の伐採が問題になっているように、都会では木は保護の対象だ。美しい緑は心を和ませてくれるし、大事にしたい気持ちは私にもよくわかる。しかし中山間地域では、人は森とせめぎ合い、その成長力を、住む人の暮らしを守るために利用している。それは水源涵養や災害防止、木材供給といった形で全ての人々に恩恵をもたらす。
都会でも、丸坊主に刈り込まれた街路樹が数か月で元のように枝葉を茂らせる様子を目にしたことがあるだろう。そこから、日本の自然がいかに大きな成長力を持っているかを類推して欲しい。人が適度に手を入れなければ、自然は私達の暮らしを脅かす存在になりかねない。日本の自然は開発圧力で減り続ける途上国の森とは違い、むしろ逆だ。松葉や広葉樹の燃料に頼っていた時代には戻れないが、新しい利用の仕方を模索する間も木は太り続ける。
自然への恐れを取り戻せ。全てはそこから始まるような気がしている。

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