都市部での暮らしは、田舎に住む人達の仕事にただ乗りしてはいないだろうか?参院選も近い中、そんな事を考えている。
都市の快適な暮らしは、地方の食料生産に加え、水源や発送電設備・物流インフラの維持によって成り立っている。沿岸地域には国境管理という役割もあり、そこに人が住んでいてくれるだけでありがたい。
田舎で女性の地位が未だに低いと言われるのは、炎天下の草刈りや田に水を引くための水路の修理など、自然に抗う、共同体の存続に欠かせない重労働を、主に男性が担ってきたからだろう。保護と差別は表裏の関係で、差別だけを無くすのは難しい。
家事や介護のようなケアワークが労働としての価値を十分に認められず、賃金が不当に安く抑えられているのを見えない労働と表現するなら、山間地域で、油断すれば自然に飲み込まれる集落の暮らしを守るのも、都市住民からは見えない貴重な労働だ。
地方で共同体に受け継がれ、人が減って途切れかかった知識、例えば水門や消火栓の位置、崩れやすい危険な場所などを、ドローンによる空撮と分析で地図に落とし、集落の人々に提供する仕事をしている人がいる。地方創生などと言葉を弄ぶ政治家が100人かかっても敵わない、真に必要とされる支援だと思う。
ただ乗りしているのは私自身も同じ、けれど少なくとも、私はその事を忘れずにいたい。そして失われた情報を地図にする人のように、かつてそこで暮らした人々の思いが宿る森の木々を、命のバトンとして蘇らせる方法を探し続けようと思う。
ゴム長に草刈り鎌、腰につけた鉈、首に巻いたタオル、古びた野球帽の下の深い皺から覗く柔和な目。彼らが本当に見たい景色、懐かしい未来に導いてくれる地図を。
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