文月ブログ

森と生きるために-伊太祁曽(いたきそ)神社

2022年9月8日、千葉市稲毛区に新設されたモック㈱の大型パネル工場で、開業を祝う式典とお披露目の会が催されました。その時、はるばる和歌山県から来られて、社業繁栄の祈願を執り行ったのが、伊太祁曽神社の禰宜(ねぎ)の方でした。
伊太祁曽神社は和歌山市にあり、『日本書紀』に「我が国に樹木を植えて廻り、緑豊な国土を形成した」と記される神様、五十猛命(いたけるのみこと)が祀られる由緒ある神社です。四月の第一日曜日には木祭りが行われ、林業・木材業に従事する人々が多く参拝するそうです。
ホームページによれば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子である五十猛神は、高天原から樹種を持ってきて、妹神である大屋津比売命(おおやつひめのみこと)、都麻津比売命(つまつひめのみこと)と共に、九州より始めて各地に種を播き、日本中を青山にしたということです。このことから有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)と呼ばれ、紀伊国に静まりました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟で、粗暴な性格ゆえ天照大神が天の岩屋に隠れる原因を作ったとされますが、出雲の国に来てからはヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚して多くの子供(神)を作ります。五十猛命(いたけるのみこと)は高天原にいた時の子供ですが、母親は不明のようです。
ここからは私の妄想ですが、五十猛命と二人の妹は、無名であっても高天原の住人であった母と、高貴な血筋に加え猛々しい力と才能を併せ持つスーパースターの父との間に生まれました。彼らは出雲で継母やその子供達と暮らすよりも、父が体毛を抜いて作ったという様々な木を、日本の各地に植える仕事に生き甲斐を見出したのではないでしょうか。素戔嗚尊は、木が無ければ人々が困るだろうと、様々な木を作ってその用途を定めたと言います。それを日本中に植え、人々に使い方を教える日々は、間接的に父を助け、国の栄える土台を作るという意義を感じられるものだったのだと、私には思えます。
紀伊国の語源は木の国だったとする説があります。木が生い茂る場所だからこそ、五十猛神とその二人の妹は、役割を果たした後に、この地に眠ることになったのかもしれません。
木を植え育て、生活の役に立つものを作る、この仕事がいかに遠い昔から尊いものとされてきたか、伊太祁曽神社はそのことを今に伝えてくれているのです。

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