佐伯広域森林組合の視察レポートを書き上げた私に、書籍を書くという話が舞い込みました。一人ではなく多くの方との共著ですが、何の実績もない私にとっては大きな挑戦です。しかも大手出版社で、私がずっと考えて来た、林業の産業化を実現するための本なのです。他の執筆者は大学教授や事業経営者、専門家で、期待に応えられるのか不安でしたが、こんな大きなチャンスは二度と来ないと思い、私は進んで引き受けました。
書籍の構成を検討する会議を経て役割が決まり、私は「森林添乗員」として、読者を建築やそのデジタル化、金融、バイオマス、ICTといった各章に案内する、つまり冒頭の紹介文を書くことになりました。更に、旅をしてきた私自身が感じていることを「旅を終えて」として書くことも決まりました。単なる執筆者の一人というより、書籍の売れ行きも左右する重要な役割です。恐れと同時に、長く渇望してきた成功への道筋になり得ることが、私を奮い立たせました。
私は新卒で入社してから定年まで、ある旅行会社グループで勤務しました。実際の仕事は経理や営業管理が中心でしたが、一般の人よりは旅行について知っていますし、森を巡って答えを探した16年間は、正に旅と言えるものでした。だから、自身のキャリアから来るイメージと、旅をとおして知ったことを人々に伝える役割が重なるこのネーミングは、自分にしっくり来るものであり、天命をも感じたのです。
構成が固まり、各執筆者に原稿の依頼が伝えられました。私の紹介文は、各章を担当する皆様が原稿を上げていただいた後でないと書くことができません。ですので、いきなり「旅を終えて」という最終章から書き始める必要がありました。20ページという分量ですので、何をどのように書くのか、ある程度の項目建てと内容の整理は不可欠です。長かった16年を振り返りつつ、まずはオーソドックスに、日本の林業の現状と、そうなった理由から書き始めました。
実際の内容は書籍そのものをお読みいただくとして(発刊予定は9月上旬)、これまで自分が経験し、感じ、考え抜いてきたことを、全て吐き出す作業は忍耐の連続でした。その一方、これまで経験したことのない、表現が自然に湧き出す感覚を何度も味わいました。書いている対象に深い思い入れがあり、高度な集中ができている時、こんな文章が書けるのかと、自分で驚くことさえありました。
しかし、まだ決定的に足りないことがあったのです。それは「いい子でいたい」という自己保身、旗色を鮮明にして敵を作ることを避けたい「逃げ」の姿勢でした。塩地氏や編集の方々と幾度も議論する中で、自分にその甘さが残っていることに、向き合わざるを得なくなっていきました。敵を作らない文章は、結局誰も味方になってくれない文章です。それではお金と労力をかけて、本を出す意味がありません。ある会合で、執筆者の一人であり、普段とても温厚な大学教授が、「炎上するくらいでないと、誰も読んでくれませんから」と言われたことをきっかけに、私は自分を根本的に変えることを決心しました。
明日に続きます。
文月ブログ
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