文月ブログ

森を巡る旅-西粟倉村その1「100年の森構想に出資」

岡山県西粟倉村と言えば、市町村合併の大波に抗い、村の森林を生かす独自の構想によって、多くの個性的な人材を集め、常に新たな挑戦をしている自治体として知られています。林業塾の講師として出会った牧大介さんは、この村の「100年の森構想」に自ら関わろうと家族と共に移り住み、2009年10月に「西粟倉 森の学校」という会社を立ち上げました。
今は木材の加工・販売に留まらず、村に生まれた多くの事業会社間のシナジーを生む、ハブのような存在となっているように思います。しかし、その道のりが決して平たんでなかったことは、ご本人が繰り返し語られています。
私はこの会社が募集した、「100年の森ファンド」のオーナーとして、10万円を出資しました。今でこそ、クラウドファンディングは珍しいものではなく、多くの人の夢や社会課題の解決を後押しする手段として定着していますが、当時はまだ目新しいものでした。元本保証はありませんが、オーナーとして村を訪れ、会社が購入した高性能林業機械の車体に自分の名前を書いたことを覚えています。
西粟倉村のすごいところは、山林の所有者や境界線の確定といった作業を村が地道に進め、その上で牧さんのような外から来た人材に事業を任せたことです。当時牧さん達が言っていたこと、それは、補助金に頼るとありがたみや責任を感じにくい、だからファンドでお金を集め、出資者に使い道や成果を透明にして、世の中の普通の産業と同じように、厳しい自己改革による経営の自立を目指す、ということだと、私は解釈しています。しかし現実はそれほど甘くはなく、何度も経営の危機に見舞われながら、奇跡的な篤志家との出会いや、ヒット商品の開発を経て、事業は大きく花開きました。
結果的に10年をかけて、出資したお金はほぼ手元に戻ってきました。それ以上に大きな価値だと思えたものは、西粟倉村という場所や人とのつながりです。クラウドファンディングの要諦は、お金ではなくファンを集めることだという事実にいち早く気づけたことが、私にとって何よりも大きなリターンでした。
事業計画に納得性があれば、銀行はお金を貸してくれます。しかし顧客を集めてくれる訳ではありません。クラウドファンディングはお金と共に、共感や持続的な関心を持ってくれるかけがえのないファンを引き寄せ、時には支援や販路の拡大、困りごとの解決にまで力を貸す人々を創るのです。
「西粟倉100年の森構想」当時この言葉の目指すものに惹かれて、元本保証のないお金を出資した人は、決して少なくありませんでした。そのことが、日本の森林再生に向けて従来のやり方から大きく舵を切っていこうとする試みを、必ず後押ししてくれる人々がいると、私に確信させてくれるのです。

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