再造林費用への税金投入をどう捉えるべきか、考えさせられる出来事があった。埼玉のある製材工場で働く方と話していて、日本の低い再造林率(3割程度)を嘆いた私の発言に対し、その方はこう言ったのだ。「私達も以前からずっと、成長した木は伐って使い、新たに植えて更新していくべきだと言ってきたんです。でも再造林にはすごく沢山の税金が使われる。間伐でも思った以上の材が出て来るし、本当に皆伐再造林が正しいのか、最近迷うことがあります。」
地域や地形などの条件で大きく異なるが、一般的に、伐採後の地拵えと植林、5年程度の下刈り(夏に周囲の雑草を刈る作業)を含め、1㏊あたりの再造林費用は約300万円と言われている。木材の収穫量が全国平均で320m3、山元立木価格が1m3あたり4,200円(いずれもR6年度林業白書)なので、1㏊の木を売っても山主さんには130万円あまりしか残らず、再造林すれば赤字になってしまう。森林には空気や水の供給、二酸化炭素の吸収や固定、景観やレクリエーションの場としての利用など公益的機能があるので、私有財産でありながら、再造林には多くの国費や県費が投じられている。冒頭の方の疑念は尤もであり、むしろ非常に健全な考え方だと私は思う。それでもなお、皆伐再造林を進めるべきだと考える理由は以下のようなものだ。
日本のスギ・ヒノキは基本的に在来木造建築に使われることを想定して植えられ、今も金額ベースでは最も大きな用途となっている。柱や梁を取るための適寸(14㎝~28㎝)が求められ、30㎝を超えると価格が安くなる傾向がある。木が太れば伐採にも搬出にもよりコストがかかるのに、売値は下がるという逆転現象が起きてしまう。太い木が高く売れるとは限らないのに、使い易い木だけを間伐していき、残った木の使い道は後の世代に任せるというのは無責任ではないだろうか。人口減少で住宅の数が減るのだから、必要な材の量ももちろん減るのだが、今のように3割しか再資源化しないというのはあまりに少な過ぎる。樹木も高齢な木ばかりにならないよう、バランスの取れた林齢構成を目指すのが、生態系その他の観点からも望ましいと思う。
もう一つは、お金がかかると言っても、再造林費用はその多くが地域内に落ちるという点だ。化石燃料を使えば代金は海外に流出するし、大手住宅メーカーの家を建てると、資金のほとんどはその会社の本社や広告代理店に流れ、株主の利益になってしまう。しかし再造林は人手に頼る作業が多く、その地で汗を流した人の生活を支える。苗木も域内で育てれば、代金が外に出て行くことはない。育つのに数十年という時間のかかる森林の経営は、現在の金融資本主義とは徹底的に相性が悪いのだから、民間にできない部分を補助金という形で行政が担うのは、ある意味当然の事だとも言える。
米の値段を考えてみると、国産のコメは外国産の2倍以上だという。5キロ3000円(敢えて一昨年の水準で)なら1トンは60万円、年間700万トンのコメを消費しているとすると、日本人は4兆以上のお金を払っている。お腹を満たすためだけなら半額で買えるものを、美味しくて安全なお米のために毎年2兆円以上の金額を負担していることになる。それは主食のためだけではなく、田園風景とそこで働く人の生活、祭りや季節ごとの催事、地域の多様な文化が損なわれることを良しとしない合意があるからこそ、成り立っているのではないだろうか。
森林の維持管理も同じだろう。木材はコメと違い、国内産を守る輸入関税がほとんどゼロという事情もある。再造林率を7割にし、仮にその全額を税金で賄ったとしても費用は2,100億円程度(7万㏊×300万円)だ。多くの日本人は気づいていないが、国土の27%を占める人工林の健全さを保つことの重要性を考えれば、決して高くはないと感じるのは私だけだろうか。
再造林は森林産業の継続を支え、地域の未来を作る仕事だ。実際の補助率は地域ごとに差があり、地元の企業や施主に費用負担を依頼する工夫があってもいい。コスト削減の努力を惜しまず、木材を極限まで有効利用する、その姿勢を前提に税金に頼るのは、日本の納税者に等しく森づくりを担ってもらうことでもある。森の恵みを更に多くの人に届けることが、その負担に報いる道になるだろう。
文月ブログ
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