少し前、法隆寺の古材が国宝に追加指定されたという新聞記事を読んだ。昭和の修理で再使用されなかった部材や、火事で焼け焦げた天井板など、その数は3,000点を超える。奈良文化財研究所などが中心となり、60年もかけて詳細を調査したそうだ。使われなかった材とは、腐ったりヒビが入ったりして建築材料として不適格と判断されたものだ。ましてや火事で焼けた板など、普通なら廃棄されて当然だろう。それが全て遺され、大事に保管されてきたことにまず驚いた。古材は建築の一部で、人々の信仰の対象であったもの。だから安易に処分できないという。バラバラな古材の全てに番号を付け、それがどこに使われていた材か、木の種類や年代など、全てを調べて記録するという仕事をしてきた人がいたのだと思うと、その苦労を労わると同時に羨ましい気持ちにもなった。彼らは時を遡り、法隆寺を支えた木材に問いかけ、その声を聞き取ってきたのだから。
かつて世界遺産の認定に際し、欧米の委員は日本の古い木造建築を評価しようとしなかったそうだ。その理由は、石造りの建築と違い、傷んだ箇所を交換して使い続けているので、建立当初と同じ物とは言えないということだった。東京文化財研究所に伊藤延男先生という方がおられて、審査機関イコモスの委員達に、そもそも木造建築は修理して使い続けるメンテナンスの技術が重要で、それが引き継がれている意義や、創建当時から残っている材も多いことなどを説明し、少しずつ理解を得ていったのだそうだ。伊藤先生はその後、長年の貢献に対するイコモスからの表彰を受けられたが、祝いの会でお会いした時の、顔に刻まれた古木のような深い皺と、その奥に覗く柔和な瞳が心に残った。
建築そのものが、時に抗い時を乗り切る船のようなものだけれど、木造建築は特に、いつかは朽ちる運命と対峙することで、いつかは必ず死ぬ運命の「人」を温かく包み込む。最初は小さな芽生えから始まる命が、人の一生を超えて生き続け、伐られた後も時には数百年にわたって人の暮らしや祈りを支える。法隆寺は、今に遺る伽藍や塔だけでなく、修復技術を伝承する宮大工や、使われなくなった古材を含めて、その全てが「時を遡る船」だ。私達が知ろうと思えば、創建当時の人々の暮らしや社会背景、材の伐り出された場所や樹齢、どのようにして加工され維持されてきたのかなどを教えてくれる。
何時どこで間違えたのか、何が自分を真に成長させたのか、過去と真剣に向き合うのは厳しい作業だ。けれど正直に深く探るほど、今いる場所の感覚と、進むべき方向に光が指すのが見えてくる。時を遡る船は、この国に住む人々が向かう方向を知るための、大きな手掛かりになり得るだろう。ちっぽけな自分が、壮大な「船」の存在を知ることができた幸運に感謝したい。
文月ブログ
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