つくばエクスプレスの計画が持ち上がり、大手ハウスメーカーが進出してきた頃、このままでは固有の住文化が失われてしまうと立ち上がった人がいた。彼は茨城の気候風土に適した木造住宅を供給しようと「協同組合茨城県木造住宅センター」を立ち上げ、産業振興で農水省、国産材流通システムで林野庁から表彰されるなど精力的に活動したが、バブル崩壊に伴って多額の負債を抱えた。代々続く自分の材木屋を潰してでも、公益を守りたいと奔走する姿に周囲は驚き、センターの事業部門を株式会社化、公益部門を「茨城県産材普及促進協議会」という組織にすることで危機を乗り切ったそうだ。それ以来、会社と協議会の両方を率いることになった、現中村公子会長のお父様である。
そうまでして守りたかった茨城の住文化とはどんなものですか?という質問に、中村氏は「可変性です」と答えた。田の字工法に代表される、物理的な可変性と価値の可変性だと。外周部で構造を担保するので、間取りを変化させやすい。そして茨城県民は比較的豊かで鷹揚、争いが少ない。最近は移住してくる人も多いが、自分の血縁でなくても、価値観が同じ人になら大切にしてきた家を譲ってもいいという人が珍しくないそうだ。日照も通風も良い地域なので、当初は夏を旨とした昔ながらの家づくりをしてきたが、日本家屋は寒いという声を受け、小玉祐一郎氏と協力してパッシブハウスを手掛けるようになったという。
そんな中村氏は、当初は森林のことなど何も知らぬまま、県産材のサプライチェーン作りに努めてきた。R3年度の統計によると、茨城県は森林率が千葉県・大阪府に次いで下から3番目という低さながら、人工林率は上から10番目の59%、祖先の植えた森を大切にしてきた地域だそうだ。しかし工務店は独自のサプライチェーンを持っており、県産だから使えと言われても反発するだけ。山主や素材生産事業者、製材業者と話をしても言葉が通じないという状況の中、非住宅に関してなら協力できると、いくつかのプロジェクトを手掛けてきた。特に大子町の庁舎は8m材を500本使用するという滅多に無い仕様で、そのための材の供給を、地域の人々と協力して行った。大子町はもともと林業が盛んで、航空レーザ計測が済んでいたため、参加事業者が伐採権を持つ地域から8mの通直な材が採れそうな場所を選び、ドローンを飛ばして詳細な地形図や単木情報を取得した。この長さの材は皆伐以外に搬出ができないので、再造林も考慮した最適な道づくりと中間土場の設置を行い、見事に成功させたのだ。2022年7月に竣工した新庁舎は、全国から多くの見学者が訪れている。
中村氏はそんな経験を積む中で、最近ようやく、山側と建築側それぞれのプレーヤーがお互いの立場や事情を理解し、同じ言葉で話せる環境ができてきたように感じるという。「林業の人達は、消費者のニーズを拾い、自らが変化することで勝った経験が無い。彼らが自分の立ち位置を見つけるために、考える時間が必要だったのかもしれない。」と続けた。
茨城県つくば市は森林総研のお膝元、種苗組合の力が強いこともあり、再造林は当たり前という気風が残っているそうだ。地域の文化と木材は分かちがたく結びついている、そう信じた人々の思いが、広い平野を渡る風に宿っているのだろう。
※写真は「いばらきの家 (株)茨城県南木造住宅センター」HPより
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