私が添乗員だとすれば、各章のまとめではなく、最初に見どころを案内するのが自然、そう考えた編集者の発案で、私は「オコシ」と呼ばれる文章を書くことになりました。更に、専門家の共著にありがちな、「結局何を汲み取ればいいのかわからない」事態を避けるため、一般の読者と同じ目線で、私なりの「旅を終えて」を書くことも決まりました。責任の重い仕事ですが、もう逃げる訳にはいきません。最初の原稿締め切りは2022年の2月末、当初の出版予定は7月でした。
「本を手に取って、買うかどうか決めるのは最初の数ページですよ。」と日経BPのO氏に言われ、序文は塩地氏が担うことになりました。元々文才と多くの引き出しを持つ塩地氏は、ほとんど一日で「日本は深々しい」から始まる序文を書き上げたのです。この本の目指すもの、それが単なる林業再生に留まらず、森林を資産として未来に届けることだという気概がにじみ出ていて、受け取った筆者の皆様に少なからぬプレッシャーを与えたようです。前述の酒井先生は「筆が止まってしまった」と言われました。自分を飾らない率直な言葉に、お人柄が現れています。
序文のインパクトのせいか、原稿の仕上がりは遅れ、結局2月末に出されたのは酒井先生だけでした。その後、督促を繰り返して全ての原稿が上がってきたのは4月になってからだったと思います。私は7月を現す「文月」をペンネームとして活動を始めていましたが、出版は9月にずれ込むことになりました。
この間、私は所属していた木材団体を辞めました。業界の古い体質をはじめ様々な理由があり、それ以上仕事を続けることができなくなったのです。この時点では先の見通しはありませんでしたが、書籍の原稿を書き上げれば何かが拓けるのではという希望に賭けていました。その後、受託加工のウッドステーションではできない国産材利用を進める会社として、塩地氏が森林連結経営を設立し、私はそこで働くことになりました。
筆者の皆様の原稿が上がって来ると、それを読んで「オコシ」と呼ばれる扉の文章を書かなくてはなりません。何度書いても、「つまらない、原稿の読み込みが足りない」と没にされます。泣きたい思いで十数回も書き直し、ようやく全章のOKが出たのです。原稿の内容と筆者の人間性への理解、その積算が書いたものの質に比例することを学びました。
旅の案内をする私がどんな人間なのか、それを読者が知らなければついてきてくれないだろう、そんな理由で、「旅を始めるに当たって」という短い文章も書くことになりました。私小説のように自分のことを記しながら、旅への誘いという本来の目的を果たすのは簡単ではありません。16年間の流浪が、これから読者を案内する旅を企画するためのインスペクション(実地踏査)だったというロジックに辿りつき、ようやくストーリーが繋がりました。ちなみに、この「インスペクション(実地踏査)」は、旅行会社時代の同期達に知恵を借りて見つけた言葉です。
私の「旅を終えて」は、筆者の皆様の原稿を待ってからでは遅いと、かなり前に書き始めました。自分の経験を振り返り、日本の林業の過去と現在、課題と希望について、できる限り正直に書こうと努力しました。「いい子の書いた文章など誰が読みたいのか」という塩地氏の叱責を受けながら、少なくとも旗色を鮮明にし、例え反発を招こうとも意志を貫く気概を持って書きました。一旦は仕上げて出版社のチェックを終えていましたが、最後の段階で塩地氏は何と、A4で20枚、およそ25000字の「旅を終えて」初稿を、丸ごとゴミ箱に捨ててしまいました。「読者は作家の腸(はらわた)が見たいのだ。全部書き直せ。」そう言われた私は茫然としましたが、日経BPのO氏からも、「本当に読者の目線に立っていると言えるのか」という指摘を受け、自分を奮い立たせました。今度は読み込んでいた各章の内容を自分なりにピックアップして紹介するとともに、自分が読者なら抱くと思われる疑問を丁寧に説明しました。現時点では困難なハードルがあっても、単なる絵空事ではなく実現可能な夢だと信じてもらうために、「限界の共有」という表現を探し当てた時、やっと読者に何かを伝えられる気がしました。
そして何より、初稿を書いた段階と大きく違っていたのは、森林を国富として将来世代に受け渡すことがこの本で訴えたい目的だと、より明確になった点です。半年以上、議論し考え抜く中で、森林の生む富は誰のものかという問いに対し、現行の所有権の枠を超え、若者世代が使うべきだと確信していたからです。
こうして、長い苦闘の末に、多くの人の手を経て「森林列島再生論」は世に出ることになりました。出版社のファクトチェックの厳しさは、ネット記事が溢れる現代において、書籍の価値が信頼性に裏付けられていることを教えてくれました。
最初は好調だった売れ行きが、最近は少し息切れしてきたようです。けれど、この本で提言した内容が実現していけば、必ずもっと大きな注目を集めるようになるでしょう。その日に向けて、私は着実に前に進んでいくつもりです。
文月ブログ
コメント