人は原生林にいきなり踏み込むことはできない。大抵は獣たちが通った踏み跡、獣道をたよりに歩を進める。最初は屈強な人間しか通ることのできなかった道は、次第に幅を広げ、いつしか車に乗って最も弱い人間も通行できるようになる。
夏休みが終わりに近づくと子供の不登校が話題になる。最近では35万人の児童・生徒が学校に行けず、別の過ごし方をしているようだ。
日本の乳児死亡率は明治後期から大正にかけて14~18%、総死亡数に対する比率は22~27%で、亡くなる人の4人に一人は乳児だった。多くの子供はすぐに死んでしまう、厳しくてもそれが現実だった。昭和に入って死亡率は漸減し、私の生まれた1960年(昭和35年)には3%に、1976年(昭和51年)には1%を切り、2024年は0.18%、総死亡数に占める割合は0.1%、つまり赤ん坊が死ぬことは滅多に無い不運な出来事になった。
1944年から46年までの3年間の統計は存在しない。戦後の上野駅では、寒さと飢えのために毎日子供が死んでいたそうだ。そんな国が80年をかけて、みんなと同じ事ができなくてもいい、あなたなりの生き方を探せばいいという優しい社会に変わってきた。虐待や子供の自死など痛ましい事例はなくならないが、全体としては進歩を遂げてきたのだと思う。
獣道では強い者しか生き残れない。環境が整って多くの人が生きられるようになると、生物としては弱い個体が増え、他の動物のように強い体質を持った遺伝子が残るとも限らない。生きる事自体の難易度が下がると、生存に関する機能以外の感覚が鋭敏になり、小さな差異や違和感にストレスを溜める人が増える。人との会話に怯え、傷つく事を怖れてAIにしか気持ちを吐き出せない人も多いらしい。極端な言い方かもしれないが、人の道は人を弱体化させる道でもある。
災害は、人の社会に課せられた「個の弱体化」という宿命をリセットする側面を持つ。誰も災害に遭うことなど望まないが、理不尽は人を鍛える。人が集まって住めば災害のリスクは高まり、災害に強い都市を作ろうと努力しても、気候の振れ幅が少し変わっただけで無効化してしまう。人が人に優しい環境を作るほど、それ自体が災害を招くとしたら、それは人への本当の優しさと言えるのだろうか。
山は厳しい。
林業は労災保険料率が全国でトップという危険な仕事だ。一方で、自然と向き合い、自分の足で立ち、何十年もかけて大きくなった木の命を頂いて、そこにまた森を蘇らせる、誇りに満ちた仕事でもある。森に入り、森の恵みで生きるために必要な技術や、労災を減らす仕組みをAIに作らせて利用してはどうだろう。都市に住む快適さが自分の人生に何をもたらすのか、真剣に考えて決断する若者が山の厳しさに挑んでいく、そんな未来が来ることを、言霊の力に託そうと思う。
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