文月ブログ

人の内側に刻まれた歴史

週に2回ほどの交流を続けている近所の老婦人が「へこたすい」と仰るのを聞いて「へこたすい、どういう意味ですか?」と聞き返した。認知症で筋の通った会話が難しい彼女は曖昧に笑って答えない。検索してみると、伊予の方言で締まりがない、ゆるいという意味らしい。後で息子さんにその話をすると、両親が話す言葉を調べたことがあったらしく、「へこはふんどし、たすいは緩いという事、つまりだらしがない、気合が入っていない、情けないといった意味で、伊予だけでなく九州全体で使われる。三河弁でたすいは弱い、脆いという意味なので、加藤清正など尾張・三河地域の武士が九州を治めた影響ではないか、と教えてもらった。そういえば、朝ドラ「あんぱん」では「たっすいがー」という言葉が軟弱、頼りない、という意味で使われていたが、土佐も長曾我部に代わって山内一豊が収めた土地だ。
大連で生まれ、帰国後は香川に疎開し、娘時代は大坂で育った老婦人は、結婚して福岡で長男を出産、その後は東京や千葉で暮らしてきた。松山で覚えた言葉は福岡でも通じたが、関東では使われない。交流を続けて10年以上になるが、方言だとわかっていたからか、私との会話で使う事は無かった。認知症になってその理解が失われ、昔使っていた言葉が口をついて出たのだろう。普段は鎧に覆われた人の心の内側には、辿ってきた人生でしみついた言葉が残っているのだと改めて思った。
徳川家康が利根川の流れを変えて江戸を広大な都市に変え、豊臣家を滅ぼさなければ、大坂が日本の首都で、西日本の言葉が標準語だったかもしれない。高松城の水攻めや大阪城など数々の土木工事や築城で権力の頂点に立った秀吉がこの世を去った後、家康は一国一城令を発案し、秀忠が発布して多くの城を破却させた。それまで権力の傍らでその力の源泉となっていた大工は、以後は宮大工と町大工に分かれ、一方は社寺建築で、他方は武家屋敷や商人・町人の住まいを手掛けて暮らしを立ててきた。今でも資格制度はなく、定義は不明確、しかし大工であることに拘りや誇りを持つ不思議な人達だ。一つだけ確かなのは、国産材を使ってくれていたのが大工さん達だったという事、そしてその数は減り続けている。
歴史上の出来事と今の暮らしが地続きであることを認識しつつ、江戸時代に始まったとされる木材流通の分業化は見直す時期に来ていると思う。山から建築までをデジタルでつなぎ、最小の労力で高品質の住宅を建てる、森の維持と地域の暮らしの両立を担うのは、山側の人でも大工さんでも構わない。大河を付け替え、先を読んでこれまでのやり方を根こそぎ変えた家康なら、躊躇する人間を「たすい!」と一喝したに違いない。
人は生きてきたようにしか死ねないと言う。自分がいつか認知症になったとしたら、どんな言葉が口からこぼれ出るのだろう。日々の想いが年輪のように心の内に刻まれていくのだとしたら、私は森と人との深いつながりを信じ、未来に続く物語りを呟けるように生きたい。

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