文月ブログ

変わりゆくものの中で

先日、千葉の女性林業家の集い「さんぶ木楽会」の仲間と一泊のバス旅行をした。木楽会は小規模ながら15年以上活動を続ける団体だが、中心メンバーが後期高齢者ということもあり、ホームページもなければSNSでの発信もしていない。地場の木を自分達の手で少しでも活用しようと、コースターや箸、カスタネットその他の木工品を作って道の駅などで販売する他、産業祭などのイベントに出店、時には植栽や枝打ちを請け負うこともある。力仕事にはやはり男手が必要だということで、男性の準会員も4人いる。
林業家と言っても、千葉の場合、山を持っているのはほとんどが農家さんで、昔から農作業の合間に山の手入れをしてきた人達だ。初代会長は、かつて県内で行われた林業関連のイベントでこう語った。「お金の余裕ができたら山に木を植えろ、それが太れば財産になるから山に貯金をするようなものだ、そう教えられて実行してきたのに、気付けば通帳の残高はゼロになっていた」その言葉は多くの人の心に刺さり、私はその場ですぐ挨拶に行って、木楽会への入会を勧められたのだった。参加してみると、私のような単なる林業ファンにも優しく、とてつもない逞しさと明るさを発揮する、ごく普通のおばちゃん達が大好きになった。
旅行では茂原の玉前神社をはじめ、勝浦の海中展望台、粟又の滝、笠森観音などを巡り、千葉も中々捨てたものじゃない、と楽しい時を過ごした。しかし観光地に人は少なく、どこに行っても沿道には随分昔に廃業したらしい朽ちた店舗が並ぶ。途中の道路は土砂災害による通行止めの区間が多く、長い距離を迂回しなくてはならないことも。旅行中、この先は一体どうなっていくのかという思いがずっと胸の底にあった気がする。
激変前夜、今は一見穏やかに見える日々が、後で振り返ると大きな転換点に差し掛かっていたという時期なのかもしれない。新型コロナは人々の生活を大きく変えたが、ようやく元に戻ったように見える日常が、その前とは明らかに様変わりしていて、更に大きな変化を内包しているように感じる。人手不足倒産、介護の担い手がいないという悲鳴。木材関連で言うと、来年4月からの省エネ基準や住宅の4号特例縮小が、ますます住宅の着工棟数減少と木材価格の下落圧力として働くだろうという予測がある。
旅行の翌日、変化をビジネスチャンスと捉える若者達との打ち合わせに同席した。建築を学んだゼミ仲間で起業し、ICTを駆使して既存の木造建築の作り方とは違う手法を生み出し、世に問おうとしている。彼らにはまだ経験も人脈も不足しているが、それを補う実力者との業務提携で道が拓ける可能性に、ホッとした表情をしていた。ようやく巣穴の外に出られるオオカミの子供のような無邪気さが覗く。私には何故かそれが、長い年月を働きづめでここまで来た、木楽会の女性達の無類の明るさと重なって見えた。木と向き合い、木に関わってきた人達の思いは、木造建築の新しい世界を夢見る若者達と、私の中でつながっている。遥か昔から笠森観音に心を寄せた人々があのお堂を守ってきたように、変わりくゆく世界の中でも確実に受けつがれるものがある。昔の人も同じ景色を見ただろうと思う、その地平を思い浮かべながら、自分もその一端を担えたらと思う。

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