木造アパートの建設ラッシュ、私の住んでいる千葉県の都市部では、そう表現するしかない現象が起きている。この4月以降、自宅から徒歩5分圏内に、3棟もの在来木造三階建て集合住宅が着工した。手掛けたのはそれぞれ別の工務店で、関連は無いようだ。一棟はもう完成し、入居が始まっている。もう一棟は7~8割方工事が進んでいて、最後の一棟は今週上棟したばかりだ。大工さん達が休んでいる間に中を覗かせてもらうと、青いJASマークが張られた柱が立ち並んでいる。目を凝らしてラベルを読むと、「オウシュウアカマツ」という表示、やっぱりここもか、と落胆する。集合住宅に加え、近隣では大手ハウスメーカーの個人住宅も二棟建設されたが、そこも全て、構造に国産材は使われていなかった。最近、欧州からの輸入材がまとまって届き、プレカット事業者間の激しい競争もあって、価格が抑えられているという話も聞く。しかし、数年前に比べて為替が20%近く円安に振れているという環境においてさえ、国産材は競争に勝てないのだろうか。
林業関係者と話をすると、国が花粉症対策で伐採を後押ししていたり、これまで林地に捨て置いた残材がバイオマスに売れるようになったりしたせいか、妙に楽観的な雰囲気を感じる。しかし先を見通せば、戸建て住宅の着工件数が減少し、活路のように言われる非住宅についても、冒頭の例のように国産材が割って入るのは簡単では無さそうだ。林業には、農協のような値崩れを防ぐ生産調整を指揮する組織は無い。各自が伐るだけ伐って、建材として売れなければバイオマスで燃やし、不足する売り上げは補助金で助けてもらおうというのだろうか。状況を正しく理解していれば、何とかしなければと必死になるのが普通だと思うのだが。
結果が全てのビジネスの世界では、努力していること自体には何の価値も無い。遊んでいると言われても仕方がない。それでも変わりたいと心底思う人ならば、解決策を持つ人を見逃がすことは決して無いと思う。しかし、解決策を囲い込むことなくオープンにし、期待を込めて様々な招きに応じながら、厳しい自己改革への覚悟を持つ人の少なさに失望する人を知っている。彼は本気で叱る場面にさえ滅多に出会わないことをどこか諦めている。変わる気のないものは、いつまでも幼虫のままでいるしかない。しかし中には、変わりたいともがく人々もいるはずだ。変わりたいのに変れない辛さ、蛹の中で幼虫の体を一旦ドロドロに溶かし、飛翔するための羽を持つ成虫の体をどうやって作るのか、悩みぬいている人々がいるだろう。私には実務経験も専門知識も無いが、その苦しさだけはわかる。
蛹で冬を越す虫達が風雪に耐えるように、厳しい批判や大きな失敗に幾度身を焼かれても、やるしかないとがむしゃらに立ち上がり、自分を作り変える。そんな蛹達がどこかにきっといて、いつか自らを生まれ変わらせ、見事に変態して空を舞うだろう。豊かな森が広がるその場所で、共に風と遊べたらいいと思う。
文月ブログ
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