朝のリレーという大好きな詩を書かれた、谷川俊太郎さんが亡くなった。「カムチャッカの若者がきりんの夢を見ているとき」、で始まる有名な詩は、「それはあなたの送った朝を、誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ」と結ばれる。朝起きて、一日を生き、眠りについただけで、とても重要な仕事をしたのだと思わせてくれる。自信を持てないでいた時期、どれほどこの詩が自分を慰めてくれただろう。
朝をリレーしているのはもちろん人間だけでは無くて、虫や動物、多くの植物も同様だ。特に樹木は、長い一生の間に数万~数十万回も朝をリレーする。正木隆氏の「森づくりの原理・原則」によれば、樹木は昼間、空気中の二酸化炭素を吸い、光エネルギーを利用して光合成を行う。水を分解する過程でエネルギーを得て、余った酸素を放出、そして水と二酸化炭素を材料に糖やデンプンを作る。そして夜、そのエネルギーを使って細胞分裂を行うそうだ。木は夜の間に太っていく。まるで寝る子は育つという人間と同じように。
樹木は二酸化炭素を吸って酸素を吐き出し、地球上の多くの生命が生きられる環境を維持してくれている。動物や昆虫の細胞が老廃物を排出し、日々生まれ変わるのと異なり、樹木は死んだ細胞を内側に遺して、樹皮のすぐ裏にある部分が成長していく。私達は木の生きた証を木材として利用し、建築や道具、燃料などに使ってきた。
タクラマカン砂漠のオアシスで胡楊が月光を浴びながらまどろむとき
隠された日本の宝(杉の学名)は朝の気配を感じ、冷たい空気に葉先を震わせる
テネシーの綿花畑跡地に植えられたサザンイエローパインが巨木になる夢を見ているとき
フィンランドのマツやトウヒは長い夜に備え、地平線の近くを巡る太陽に細い腕を差し出す
世界中の樹木が絶え間なく朝のリレーを繰り返し、その結果生まれた大気を吸って、私達も朝をリレーする。谷川さんの詩では、今を生きる人々が回る地球の上で朝という現象・時間を順繰りに手渡していく、そのつながりの確かさが、単なる事実を超えて多くの人の心に清々しい空気を吹き込んだ。数十年~数千年の間リレーをしてきた木々達は、細胞分裂を終えて再び光合成を始める区切りとして、無数の朝を内部に記録し続けている。そのレコードを音として再生する機器があったなら、森は一体どんな音楽を聞かせてくれるのだろう。いや、森に足を踏み入れた時、私達は既に体の奥底でその音の響きを感じていないだろうか。朝のリレーが刻まれていると思うと、木材の持つ温かみと美しさがより愛おしく思えてくる。
コメント